2002年JAZZコンサートツアーの状況

渡辺 文男 Drams
元岡 一英 Piano
小杉 敏   Bass 

鈴木 道子 Vocal



左より小杉 敏(Bass),鈴木 道子(Vocal),渡辺 文男(Drams),元岡 一英(Piano)


コンサート(東海地区)
10月10日(木) 西尾  西尾ゴルフクラブ    0563−72−2111


10月11日(金) 名古屋 サテン・ドール      052-774-1904


10月12日(土) 吉良  インテルサット     0563−35−0973

尚、HPは http://members.aol.com/taka37/intelsat.htm


10月13日(日) 浜松  “JAZZ in B♭”    053-435-5644 


10月14日(月) 豊田  キーボード        0565−34−1031

尚、HPは http://www.tsd.co.jp/tjn/index.htm


尚、以下の紹介は順不同です。









鈴木道子 (Vocal)

東京都出身

成蹊学園大学在学中より、ブルースやソウル、スタンダードナンバーなどを歌い始める。
卒業後、歌って踊るソウルフルなコーラスグループ“JOY”に参加し、キングレコードからLP,シングルを発表。

次第にJAZZに魅了され、当時六本木にあった“Body&Soul”でのセッションを通じて多くの素晴らしいミュージシャンと知り合い、ソロシンガーとして活動を開始する。

1984年頃から度々渡米し、伝説的なジャズシンガー“Jimmy Scott”に師事。

1995年、黒生ビールのCMソングに登場し、そのブルージーな歌い方が視聴者の高い関心を呼び、ヴィーナスレコードからCD “After Nine”がリリースされた。

1996年、中野サンプラザにて実力派ボーカリスト5人を集めて行われた「Five Ladies SuperVocal」に、1997年には、昭和大学人見記念講堂にて開催された「The 2nd Women's Jazz Festival」にシャーリー・ホーンらと日本人唯一のボーカリストとして出演。

Jazzを歌を愛してやまない道子の歌は、ドラマチックであり、聴衆を自分の世界にグイグイと引き込む力がある。


Hpは http://www5d.biglobe.ne.jp/~michiko-/




小杉 敏(こすぎ さとし) Bass

1948年8月11日静岡県掛川市生まれ。
東京都立大学在学中にボサノバ・バンドでベースを始める。
山口真文クァルテット、大友義雄クァルテットを経て、1977年、渡辺 文男クインテットに参加する。
その後、1986年ジュニア・マンスとの全国ツアーを始め、マル・ウォルドロン、トゥーツ・シールマンス、アート・テイラールー・ドナルドソンなどのジャズの巨人たちとも競演をする。

現在、渡辺 文男バンドの他、中牟礼貞則(g)江藤良人(ds)によるギター・トリオでも活躍中。
又、Q・石川(ts),元岡一英(pf),吉岡秀晃(pf),福田重男(pf),橋本信二(g),岩見淳三(g),鈴木道子(Vo)らとの共演も多い。

<参加レコード・CD>
「オー・フレンド」(大友義雄)、「FUMIO」(渡辺文男)、「Groovin・Hi」(渡辺文男」、「SweetPumpkin」(守新治)、
最新作では「MakeSomeoneHappy」(高橋知巳)、「RiverSide」(中村誠一)、「TheOriginal」(市川修)、「Rememberance」(中牟礼貞則)がある。




元岡 一英 (Piano)

1950年 北海道伊達市に生まれる。
音楽好きの両親の影響を受け、小学校5年生からピアノを始める。中学ではブラスバンド。高校では合唱部。
その後、慶大進学のため上京。

騒乱の町新宿でJazzを知る。

松本英彦4、高橋知己4を経て、向井滋春5に加入。

’80年に渡米。バリー・ハリス氏に出会い大きな刺激を受ける。
’83年暮れに帰国。
オリジナリティーとジャズとの融合を目指し北海道バンドを結成。
’89年「Visions」、’91年「5Minuites Ago」、’92年「Quite a Dance」をリリースし、’94年に解散。

その後も現在におけるJazzの可能性を追求し、旺盛に演奏活動を続け現在に至る。

自己トリオの他、中村誠一(ts)4,渡辺文男(ds)4,大山日出男(as)4,佐藤秀也(as)サウンドシャワー、チコ本田(vo)グループなどで活躍中。




渡辺 文男(Drams)

1938年栃木県宇都宮市生まれ。

最初はボーカリストとしてスタートするが、後に転向し沢田駿吾とダブルビーツにてプロ活動を開始。
その後、八木正生トリオを経て’67年武田和命カルテットに参加。
当時このカルテットはキチガイバンドとの異名をとっており、新宿ピットインを拠点に伝説的な演奏を繰り広げる。

’68年〜’70年まで実兄である渡辺貞夫グループに参加する。
渡辺貞夫グループ退団後、本田竹廣トリオにて活動。
’72年には山下洋輔トリオにパーカッショニストとして助っ人参加。
’76年、大井貴志、菊池昭紀、大口純一郎、小杉敏を率いて自身のクインテットを結成し、’78年新宿ジャズ賞を受賞。

その後、太田寛二(p)、小杉敏(b)との20年近くになる不動の黄金リズムセッションを柱に、フロントには榎本秀一・高橋知己(ts)、粉川忠範(tb)、佐藤三郎・郷間和男(as)、河東伸夫(tp)等日本を代表する実力派プレーヤーを擁し、Jazz界をリードする。

その間、日本を訪れたオーネット・コールマン(as)、ジュニア・マンス(p)、レジー・ワークマン(b)、バリー・ハリス(p)など多数と共演し大きな話題となる。

現在、数々のセッションの他、元岡一英(p)、高橋知己(ts)、岡崎好郎(tp)、そして小杉敏(b)の新生クインテットで旺盛にライブ活動中。